伝統文化「謡曲」の手習い
私の趣味の一つに 謡曲 というのがあります。
謡曲とは 歌謡曲から歌 を除いたものです。 逆に言
えば 謡曲に歌をつけたものが 歌謡曲です。
私は 平成元年、 タイを訪れました。目的はタイ
の電力 庁「 EGAT」 (Electricity Generating
Authority of Thailand) エガットへ開発した製品の
プレゼンテーションのために 訪れたのです 。
プレゼンテーションが済んだその日の夜、タイの
立派なホテルで食事をすることになりました。
食事を摂っている席から見える舞台では、若い 舞踊
家の多くの人たちがタイの美しい民族舞踊を披露し
てくれていました。
そこで感じたのはタイの若い人達が伝統芸能・ 文化
を引き継いで活躍していることに驚き、感心しまし
た。
私は、 平成元年、 昭和天皇が崩御されたこの節目
の年に、何か 日本の伝統的文化に触れてみたいと強
く思ったのでした。
この節目のことは常々、考えていましたのでタイの
舞踊を見て強く気持ちが動いたのです。
そこで 日本の伝統文化芸能も色々あるけれど、私に
できるのは「お能の中の謡曲」であると考えつきま
した。
そして謡曲に挑戦しようと決めたのです。
これが、私の趣味の一つである謡曲をやろうと決め
たいきさつです。
平成元年 1989年の事です。
謡曲の知識が全くない状態で練習を始めたのです。
耳で聞くことは多少ありましたが、伝統芸術、謡
曲の練習とは、
まさに「習うことより、慣れろ」と言うことでし
た。
先生が謡う一節を、その後、謡うのです。
そして声の出し方、高さ、太さ、間合い、言葉の
表現、感情の出し方、等々の指導を受け、謡った
結果の指摘を受けて、それを繰り返すのです。
まさに口伝です。伝統の稽古方法だと思います。
これを終えると、謡曲の一段落を通して、同じ
ように先生の指導を受けて、謡った結果の指摘
を受けて、それを繰り返すのです。
最初の頃は、指摘を受ける理由が分かりません。
只々、指摘を無くすことでその日が終わります。
つぎに、ある程度、謡えるようになると、先生
から、今、謡っているのは、強吟、弱吟のどち
らかである事を教えてくれます。
使っている謡本を、後で見れば分かることです
が、最初は、その余裕もありませんでした。
強吟、 弱 吟 の違いで、謡本に書いてある同じ
記号でも謡い方が 全く違うのです。
謡本には、音符はありません。代表的な音階と
して、上音、中音、下音が小節毎に記載されて
います。
ほんの初歩的なことですが、上に述べたような
謡曲の謡い方の決まりやルールは、自分で別途
参考の本を買って勉強する事になります。
謡曲の歌詞だけを役(シテ、ワキ、ツレ----)と
地謡で謡うのを素謡いと言います。(鳴り物が
入らないで謡う)
謡曲の歌詞は殆ど和歌で構成されています。
即ち、七五調の言葉で構成されています。
従って、日本人の感性に心地よく響きます。
素謡いにお囃子(大鼓、鼓、太鼓、笛)が加わり
さらに仕舞が加わると能になります。
素謡いにお囃子が加わると拍子(リズム)を合わせる
ことが大事になります。
八拍の拍子の中に、七五調の言葉とお囃子の拍子が
はめ込まれ、能となります。
それを意識した素謡の稽古が始まると、理屈で覚え
るのはむつかしく、繰り返し、繰り返し、体で覚え
ることが大切だと思いました。
猿楽、能楽として、謡曲が謡い始められた室町
時代から、数十年前までは 口伝であったろうと
思われます。
私は、会社の同好会にて、稽古を始めました。その
際も「習うことより慣れろ」 方式で稽古しました。
とにかく、体で覚えるということだと感じて、繰り
返し稽古に励みました。
謡曲の稽古のやり方が、分かり始めた頃、稽古の場
を会社の同好会から移り先生も変わりました。
新しい先生は、観世流の宗家のお弟子さんとして稽
古されている方に教えてもらうことになりました。
私の師匠です。
かなり厳しく教えられました。
室町時代の世阿弥の本に、有名な
「初心忘るべからず」という言葉があります。
私は、この言葉を肝に命じ、稽古に励みました。
毎週土曜日、神戸から西宮まで通いました。
稽古場の先輩の稽古を「聞く、見るも」稽古です。
自分の稽古の番だけでなく、朝から夕方まで、稽古
の場に居て見聞きしました。
この稽古を20年間、平成20年、2008年まで続けまし
た。 稽古を続けることの大切さを感じました。
とは言え、術はまだ、まだ、素人の素人です。
何事も同じでしょうが、上には上があって、謡曲術
を得るには、行を積むことが求められる事が解りま
した。術は行が求められると書きますね。
私の師匠は会社の大先輩であり、全社の同好会のま
とめ役でもありました。
全事業所の同行会の謡曲の発表会のアレンジもされ
ていました。
各事業所の同好会にて 発表会の場所が選定され、年
毎の、 それぞれの持ち回り方式にて、発表会が開催
されました。
おかげさまで、20年の間にて、 東京国立能楽堂、 熱
田神宮能楽堂、 名古屋城能楽堂、湊川神社能楽堂、
大阪、 姫路 、福山、 長崎 にある能楽堂にて、日頃
の稽古の成果を発表させていただきました。
この発表会は日頃の練習の励みになりました。
謡曲80曲ほどの発表会の ために稽古をした 謡本が
手元に残っています。
現在は、稽古としては、特別ににしていませんが、
今まで稽古した 謡曲を趣味として暇な時に謡って
います。
謡っていると気持ちが安定し、 腹から声を出す為
健康に良い影響をもたらします。
「熊野(ゆや)、松風に米の飯」という 諺があります。
能楽のお題の熊野、松風は米の飯の様にいつまでも
飽きが来ない」という意味です。
私も熊野、 松風の謡曲を、稽古を思い出しながら、
特にクセの段をちょっとした隙間、風呂の中などで
謡っています。
一人「600年以上の伝統ある謡曲を稽古していて、
良かったなー」と思いを深くしています。
謡曲の歌詞が七五調であるのを参考に、文章を書く
と読み手が、気持ち良く、読めることを知ったこと
は大きな収穫でした。
|