ふるさとの歴史を知る


私のふるさとは 佐賀です。

全国的な知名度調査で、佐賀県はあまり 知名度
が高くないと、言われたこともあります。
歌でも歌われていたこともありました。

私は、神戸に、社会人になってから、住んでいます。
神戸淡路大震災にも遭遇しました。
神戸は第2のふるさとです。

年齢が寄る年波となると、ふるさとが愛おしく
なってきますね。

ふるさとを知ると、ふるさとへの 愛情 が高まります。


随分昔、青春の頃読んだ本に、”知は愛の極点である”
とありました。

ゲーテとか、日本の倉田百三の本でした。

この真理は不変でしょう。

男女の間だけでなく、全ての研究項目やあらゆる
事象に当てはまりますね。


ふるさとの歴史を知ろうと思ったのは 、兵庫佐賀
県人会の事務局を仰せつかっていた時です 。

県人会に集まって、飲み食いし、歓談するのも良い
けれど、”何か他にやることはないのだろうか?”との
声が出てきたのです。

それで 佐賀の歴史を調べて、 皆さんに知らせようと
の思いに至ったのです。

私は、 技術屋であり、歴史は素人です。

ふるさと佐賀の歴史をあまり知りませんでした、
月1回の会合とし、とにかくスタートしました。

さあ大変です。 何を話せば良いのか分かりません。
とにかくパソコンの前に座って、 佐賀の歴史の話の
切り口を探し、その情報を探し 求めました。

ところが、現在 ほどではありませんが 、情報の
ネットサーフィンをすることによって、 どんどん
深掘りができていくんです。

その情報のつながりは、佐賀のことにとどまらず、
全国に広がっていきます。

それはそれで勉強になりました。

しかし、佐賀県人会の話題とするのは極力、 佐賀に
関係する話だけに絞って記録するようにしました。

それらをパワーポイントにまとめ上げるのです。

1回の話を1時間程度にまとめます。

ストーリーを作ってまとめないと、みなさんの興味
を引き付けられません。

1回の パワーポイントのページの枚数は 約50枚、
1ページあたり、1分 話しをして約1時間です。

1ヶ月 1回のサイクルで回すのは至難の技でした。
深夜まで作業をしたことが多々ありました。

居酒屋の一室にプロジェクターを持ち込んで会を開
きました。

居酒屋では騒がしいという声も出て、 別途会議室を
借りて、会を開くようになり、例会と呼んでもらえ
るようになり、だんだんと参加される方も 増えてき
ました。、

ふるさと佐賀の歴史を、それなりにお伝えすること
ができたのではないかと、自分では思っています 。

私1人で話をするのは 5年ほど続きました。

ふるさとの歴史を知ることができたことと、知らせる
行動は、私にとって大きな財産となりました。

現在はホテルの会議室を借りて、4ケ月に一度の会と
なり、持ち回りの 話し手で、話題は歴史に限らず、
実施するようになっています。

昨年末、邪馬台国、卑弥呼の墓ではないかと、
フィーバーした吉野ヶ里遺跡の発掘にちなんで、
吉野ヶ里遺跡について、深堀して、私なりの新たな
発見をしたことなどを話しました。

吉野ヶ里集落は、実に緻密に設計されており、縄文
から弥生時代にむけての流れの中で、土着の縄文人
の発想では、なし得ないであろう設計意図が含まれ
ていると思われます。

縄文からの流れの中で突如素晴らしい建物(祭祀殿)や
その周りの建物(物見やぐら)が現れ、それらの配置と
北墳墓との位置関係が太陽信仰、星座信仰を意味する
であろうと思われる設計が配慮されているのです。

太陽信仰は中国元来の情報として伝わり、星座信仰は
中国を経由したヨーロッパからの情報ではないかと
思われます。 

渡来人からの知恵と情報、中国との交易から得られる
情報など考えられるであろう事を話しました。

今までにない話を興味深く聞いて頂きました。





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